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都道府県、市区町村ごとの気になった情報を地域別に載せていくブログです。素敵な出会いがあればと思います。
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みなさん、「美唄市」ってどう読むかわかりますか?
「びばい市」、ですよ。うーん、、本州の人間には北海道の地名は本当に難しいです!
美唄市のかた、すみません。。。

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↓最近の美唄市のあゆみを引用してみましたし↓


44年3月 道立美唄聖華高校発足(道内初の衛生看護科を設置)

8月 第1回道民スポーツ陸上大会開催

9月 美唄市民会館開館

45年2月 美唄消費者協会発足

7月 開基80年・市制施行20年記念式典実施、市民憲章制定

46年4月 開拓記念厚生会館(東明閣)開館

6月 市立図書館新築落成

47年4月 (三菱)美唄炭鉱閉山

5月 美唄鉄道廃止

6月 市営バス運行開始

48年3月 三美炭鉱閉山、8月北菱我路炭鉱閉山し市内の全炭鉱坑口を閉ざす

5月 身体障害者福祉モデル都市に指定

7月 東明町に新市営野球場開設

49年7月 美唄市社会福祉会館開設

50年2月 市役所庁舎現在地に新築移転

12月 国設スキー場開設

51年5月 中核市街地再開発用地分譲開始

7月 北海道身体障害者スポーツ大会・全道身体障害者福祉大会開催

11月 美唄経済センター開設

52年4月 道立美唄養護学校開校 我路ファミリー公園開園

6月 第1回福祉スポーツ大会開催

12月 特別養護老人ホーム恵祥園開設

53年3月 陸上自衛隊駐屯地開設

4月 茶志内小学校開校、以降市内小中学校の統合整備が急速に進む

54年4月 全道ろうあ者冬季体育大会開催

6月 全道母子福祉大会開催

55年7月 サイクリングロード開通 中央公園開園

56年6月 郷土史料館・健康センター開設

57年4月 美唄ダム完成 ごみ処理センター運転開始

58年4月 南美唄コミュニティセンター開設

11月 北海道身体障害者リハビリテーションセンター開設

59年2月 空知中核工業団地分譲開始

60年9月 核兵器廃絶平和都市宣言

62年9月 道央自動車道美唄インター開業 防犯都市宣言

10月 サンスポーツランド開設

63年2月 総合体育館開設

平成時代(元年=1989)

元年4月 北海道中央コンピューター・カレッジ開校

9月 第44回国民体育大会(はまなす国体)で卓球協議開催

2年3月 青少年健全育成都市宣言

5月 ピパオイの里プラザ開設

9月 開基100年・市制施行40年記念式典実施
11月 スペース・カリヨン完成

3年1月 保健センター開設

8月 広報紙「メロディー」創刊

12月 ゆとり創造宣言を決議

4年4月 総合福祉センター開設

7月 アルテピアッツァ美唄開設

9月 美唄ハイテクセンタービル完成

6年2月 美唄市学校給食センター完成

7年12月 訪問看護ステーション開設

8年4月 消防庁舎改築移転

9年10月 農道離着陸場開港

10年5月 旭公園開園

11年4月 東地区生活支援センター「すまいる」開設 美唄高校開校

6月 美唄市広報通巻1000号

9月 「らいす工房びばい」が完成

12年4月 介護保険制度、ごみの分別収集がスタート

7月 市制施行50年記念式典実施、市の鳥が「マガン」に決定

13年3月 美唄東高校閉校、55年の歴史に幕、卒業生15,026人を輩出

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[PR]岩見沢市の出会い

 岩見沢市の地名の由来は以下の通り(引用です。)

 アイヌ語の地名が多い北海道において、岩見沢は数少ない和名の都市です。明治11年に幌内煤田を開採のため、開拓使は札幌~幌内間の道路を開削に当たり、工事に従事する人たちのため、当市の北部、幾春別川の川辺に休泊所を設け、ここで浴(ゆあみ)して疲れをいやしたといわれています。
 当時の人々にとって、この地は唯一の憩いの場所として、「浴澤」(ゆあみさわ)と称するようになり、これが転化して「岩見澤」(いわみざわ)と呼ばれるようになったといわれています。

今いろいろと大変な夕張市ですが、だからこそ夕張市の皆さんには素敵な出会いを見つけて欲しいです。

[PR]夕張市の出会い

 夕張市は北海道のほぼ中央、空知地方の南部に位置し、東西24.9キロメートル、南北34.7キロメートル、面積763.20平方キロメートルの街です。
 夕張市一帯は夕張山地の豊かな森林や清流に育まれた丘陵で、夕張岳(1,668m)から流れる夕張川とその支流が夕張市内のほぼ中央を貫き、流域に沿って帯状に街が形成されています。
 山や丘陵に囲まれた地形的特徴から、四季の変化や昼夜の気温の変化が大きく、また、風はまわりの山々にさえぎられて弱められています。夕張市の降水量は本道の平均的な量で積雪は近年少なめです。 

 明治7年(1874年)に、アメリカ人の鉱山地質学者ベンジャミン・スミス・ライマンの探検隊が夕張川上流の炭鉱地質を調査、その後明治21年(1888年)、道庁の技師坂市太郎が志幌加別川の上流で石炭の大露頭を発見したことから「炭鉱の街夕張」の歴史が始まりました。
 明治24年(1891年)の炭鉱開始以来、炭鉱の街として栄え、昭和18年(1943年)には市制が施行されました。一時は大小24の鉱山、人口12万人を数えましたが、昭和40年(1965年)代に入って次々に閉山。「炭鉱の街夕張」としての歴史に幕を閉じました。現在、夕張市にある石炭の歴史村にある「石炭博物館」「炭鉱生活館」「模擬鉱」などに、炭鉱の街夕張の歴史や生活が再現されています。
 炭鉱に替わって夕張の顔となったのが「観光」です。かつての炭鉱跡地を利用し、昭和58年(1983年)にオープンした「石炭の歴史村」をはじめ、北海道屈指のスキー場マウントレースイ、ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭をはじめとする多彩なイベント、全国的にその名を知られる銘産夕張メロンを原料とした特産品開発、雄大な自然環境の利用など、いち早く新たな街づくりに着手、北海道に数ある元・炭鉱の街の中で、最も活性化された街として夕張市は注目されています。

[PR]石狩郡の出会い
  
新篠津村の村章は昭和9年に制定されました。
村章の下3本線は石狩川、上は篠津川、緑色であれして、豊かな土地から受けてきた農業の恩恵の深さを表徴したものなんだそうです。  
 
新篠津村は、明治29年、篠津村(現:江別市篠津)から分村したことから名付けられたそうです。
なお、篠津はアイヌ語で、「本流が同じ深さで、ゆるやかに流れる(シ・ヌッチ)」、「大きな原野が沼(のような)(シ・ノ・ト)」等の意味のようです。 


  ナナカマドは日本各地に分布しており、四季を通して緑葉、紅葉、紅実を楽しむ事ができ、風雪に耐え抜く力強い木。 
    
  アヤメ科に属するハナショウブは、初夏の訪れとともに村のしのつ公園に、濃紫の花が咲き誇ります。

ナナカマド
ハナショウブ 

  
  北海道石狩平野の西部にあり、北緯43度9分から43度17分、東経141度40分から141度34分に位置し、東西8.7km、南北14.3km。 
    
  3,817人(平成19年5月1日現在) 

  78.24k 

  主産業は農業の第1次産業、第2次産業は若干の建設業・製造業とその従事者、第3次産業は役場・農協・福祉施設・第3セクター等に勤務する職員等。
 
 

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◆当別町の概観
 当別町は札幌市と境界を接し、札幌都心部から約15~25kmに位置しています。 明治4年、仙台藩岩出山の領主・伊達邦直公が家臣共々移住し、苦難の開拓の歴史が始まりました。人々の開拓の努力は、明治35年頃には札幌支庁管内(当時)で最も豊かな農村へと発展し、農業を基幹産業とした当別町の礎が築かれました。現在では、管内有数の米の生産量を誇っています。また、切り花の生産が盛んで、道内屈指の生産額となっています。  近年は、札幌市や江別市という産業集積地の隣地であり、石狩湾新港と新千歳空港とを結ぶ交通の要衝であること、昭和63年の札幌大橋開通やJR学園都市線の増便などから宅地造成がなされ、札幌近郊の田園都市として発展しています。  また、風景が酷似していると言われるスウェーデン王国・レクサンド市との姉妹都市提携をメインとした積極的な国際交流の町として、大きな飛躍が期待されています。

◆町名の由来
 当別町はアイヌ語「トウペツ」(沼から来る川の意)からでたもの



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